30代からの自分探し

私は誰なのか、自分を取り戻すためのブログです。

久々の三連休の中日に、自分と向き合ってみた。

大分モヤモヤしていました。

記事にすることが大変な程に、

まとまりのない感情でした。


でも最近は やや

明るいのです。


やりたいことが出てきました。


自分に出来るのか?

不安はありますが、

挑戦してみたい気持ちが大きい。


今までと違うところは、

自分のこの思いを

家族に伝えられたこと。


今までの私なら、


こんなこと言ったら

否定されるに決まってる。


これでした。


でも、否定されたとしても

やりたい、と伝えたくなったんです。

これって、

自分を信じられているってこと?

考えが浅いとも言える?


人の目を気にして、

人生を歩んできた私。


母が期待しているから

自分が納得できる理由を作り上げて

現在の進路に進んだ。


友人が頑張っているから

できないと思われたくないから

なんとか食らいついて

資格を取った。


就職して、

最初の好印象を壊したくないから

苦手を克服しないまま、隠した。


同じ大学を卒業した夫に

怠けていると思われたくないから

結婚後も仕事を続けた。


結婚を機に、

消極的理由で職場を変えた。

そこは居心地が良かったけれど、


子育てと家を建てるために

地元へ引っ越すことが決まった時期、

たまたま紹介で見学した別の職場で

相手方に強く勧められたから、

全く思ってもいなかった職場に就職した。


職場ではただ、

言われた通りに働いた。

でも回りに何を求められているのかが

わからなくて、不安で、

誰の役にも立っていないような気がした。

いてもいなくても

同じかもしれない と思った。


第2子が生まれ、

気づいたら、

自分がどこかに消えていた。


自分は何が好きなのか、

何をしているときが楽しいのか、

好きな食べ物、好きな音楽、

なんだかわからなくなっていた。


そんなとき、

自己肯定感アップの本と出会い、

子育て心理学と出会い、

ライフワークを考える本に出会った。


そして徐々に、

自分を取り戻してきたところ。


今は、

同じ仕事をしていても、

自分にしかできないことをやろう

と思える。


そして、

これは一生続ける仕事では

私にとってはない

となんとなく感じている。


このように感じていることを、

新人の頃育ててくれた方が知ったら

どう思うか?

共に勉強した友人はどう思うか?

母には否定されるか?

夫には否定されるか?

現在の同僚には軽蔑されるか?

上司にはがっかりされるか?


様々な人の顔が浮かび、

これまで仕事を続けてきたけれど、

今回は、

なんとなく大丈夫です。


正直に話しても、

私のことを受け入れてくれるんじゃないか

と思えています。


この変化が、自分でも、

すごい。


これって、

自分を信じることができている

ということでしょうか。


少しだけ、

ようやく、

自分の足で歩き始めた。

そんな感覚です。

夢を持てって言われたって…と思う子どもでした。

思えば、幼い頃から、将来の夢がわかりませんでした。

幼稚園の年長で、「おおきくなったら」の題で絵を描く課題がありました。
私は、「お花屋さんになりたい」と、お花の絵を描いたことを覚えています。他の多くの女の子たちがそうだったから。

小学2年生の時、地域のケーブルテレビで、「将来の夢」という撮影がありました。私は当時は優秀な生徒だったので、学年の代表者2名に選ばれました。
でも、夢なんて思い浮かびません。
習っていたけれどそんなに得意でもなかった、「ピアノの先生になりたい」と、もっともらしく答えていました。


私は音楽が好きで、学校で習った歌を姉と一緒にいつも歌っていました。
「高齢者施設で二人で歌ったら喜ばれそうだね」
との母の言葉を真に受けて、本当にそうなったら良いなー、「由紀さおり安田祥子」みたいになりたいなー、と、しばらく本気で思っていました。
でも、どうしたらそうなれるのか具体的に考えるまでに至らず、時が過ぎていくに連れて、「違う世界のことなんだな」と、思うようになっていました。

同時期に、大好きな『おかあさんといっしょ』の「うたのおねえさん」にも憧れていました。実は今でも、子どもと一緒にテレビを見ながら、自分と重ね合わせることがあります。いつまでも憧れです。
狭き狭き門なのはわかっていますが、それに挑戦する人もいるわけです。挑戦できる人と、別の世界のことだと自ら線引きをする人と、何が違うのでしょうか。

同じく小学生の頃、隣のクラスに子供服のモデルをしている子がいました。かわいくて、おしゃれでイケイケ(言い方古い!?)な子でしたが、陰口も言われていました。
自分のこと可愛いと思ってる
広告のモデルじゃ、大したことないよね
髪の毛茶色くして、生意気だよね
そんな偏見でしかないことを、変な嫉妬なのか同級生に陰で言われる。心が強くないと、続けられない仕事だと思いました。

その後(中学生でも)も相変わらず、アイドルに憧れたりするのですが、全て周りの目を気にして、公言できませんでした。
自分のこと可愛いと思ってると思われたくない、
アイドル好きなんてダサいと思われたくない、
というように。


小学4年生では、絵本作家になりたいと思いました。
自分で物語を作って、絵を描いて、画用紙を折った本にしたところ、母がとても誉めてくれたのです。
私はファンタジーが好きで、頭の中は、人ではないものが話したり、プリンセスが出てきたり、魔法の世界が広がっていました。
でも、「絵本作家は大変だよ~。それじゃあ食べていけないよ。」との母の言葉で、あっさり諦めてしまいました。
ただ、その頃から、日記をつけたり、歌を自分なりの物語に書き換えたり、詩を書いたりは、大人になるまで続けていました。本当に、好きなことだったんだと思います。

一方、もうひとつ、婦人警官になりたいと思ったこともありました。
善悪の判断をして、白黒つけて、取り締まることが、自分に合ってるかもしれないと思ったのです。決まりは守る、規則は守る。そういう、生真面目なところがありました。
ただこれも、「あんたは逆に、やられちゃうよ~」との母の一言で、そうか、とすんなり納得してしまったのでした。


小学5年生の頃、テレビでは『ナースのお仕事』が流行っていました。それに憧れて、看護師になりたいと言う友だちが増えました。
6歳のときに父が病気で亡くなったこともあり、「看護師さんになったら」と母が言いました。私はそれらしく、父の入院中に看護師さんが優しくしてくれたからと、「看護師」を将来の夢として作文に書きました。でも、本気ではありませんでした。夜勤が怖いから、注射が危ないから、等と理由をつけて。

その頃、本当は、福祉の世界に興味がありました。
「福祉」とは、幸せの意味だと知り、そこらじゅうの皆が幸せになったら、どんなに良いだろうと、子どもながらに感じていたのです。
テレビで報道される虐待のニュースが、とても気になっていました。児童福祉司になって、親をなんとか説得して、子どもに幸せになってもらいたい。そう考えていました。
思えば、それが初めて思い描いた「現実的な」「夢」でした。


中学生では、授業での職業見学に、保育園を選びました。保育士さんの仕事を体験して、私は、人が好き、人を観ることが好き、でも、1度に大勢の子達とわいわい遊ぶタイプではないかも、と気が付きました。声は通りにくいし、活発な方ではないし、このお姉ちゃんは面白くない、と子どもには何でも見透かされている気がして、心から楽しめませんでした。
そのなかで、一人、気になる子がいたのを覚えています。プールをお休みして、教室で遊んでいた年長さん3人のうちの一人です。先生に叱られやすいタイプのやんちゃそうな子でしたが、「抱っこして~」「グルグルして~」「おっぱい」と、やたらスキンシップ を求めてきました。当時、何となく直感的に、寂しいのかな?と感じ、家での様子はどうかな?力になれるかな?としばらく気になっていました。

中学2年生、立志式での作文では、保育士になることと、お母さんになることが夢だと書きました。
保育士は、向いていないかも、と半分感じていましたが、「お母さんになる」は、本当に本当の夢でした。


これまでを振り返ると、音楽が好き、絵本が好き、子どもを幸せにしたい。表現したい。発信したい。愛と平和。
これが、私だったのかもしれません。


高校は、進学校でした。
1年生の冬、文系に進級するか理系にするかを選択しなければなりませんでした。
私は、福祉の道を考えていたので、文系へと思っていました。でも、特に秀でた得意科目がなかった私に、「理系に進んで、資格をとったほうが良いよ」と母の助言がありました。生活のために、給料を考えての助言でした。

悩んだ末、理系に進んだ私。
でも、私は何をしたいのかが、よくわかりませんでした。それに、将来の生活を現実的に思い描くことも、できませんでした。
音楽大学に行ってみたい、音楽療法士も良いな~。など思いましたが、経済的な理由で却下。
そこで母が紹介したのが、現在の私の職業です。
私はその職業が自分に合っている、といろいろ理由をつけて思い込み、専門の大学を受験しました。そのまま、進学、資格取得、就職、と。


こう改めて書いてみると、私は、自分で切り開いた人生では全くなかったように思います。
母の言葉を全面的に受け入れ、それを自分の考えであるかのように、進路を決めてきました。

母としては、失敗してほしくない、路頭に迷うことなく、職を持って自分で生活できるように、との親心から、様々な意見をしたのだと思います。
今でも、それは有り難く思います。
でも、仕事をしながらも、ずっとこの仕事をやり続けるというイメージが湧かず、「私が本当にやりたいことは何だろう」ということが、何となく常に付きまとっている感覚があります。



私は、夢を持ちなさいと言われても困ってしまうような子どもでした。
自ら夢を思い描き、誰に何と言われようと、思われようと、その道を突き進む芯の強さが、私にはありませんでした。

このブログについて

第2子、長女を出産してから、もうすぐ1年が経ちます。
出産から3週間後、保健師さんの簡易テストにて、産後うつの一歩手前と指摘され、それから約7ヶ月後、初めて受診した心療内科で「うつと不安がありますね~」と言われました。

それからは、服薬もカウンセリングもなく、
自分で本を読んだり、心理学を学んだりして、
今まで4ヶ月を過ごしました。


ここ最近、再び気分のアップダウンが激しくなってきたような。
日中は眠い、いくら眠っても眠い。
子どもに対しては、穏やかに過ごせていると思ったら、急にピキッと、イライラトゲトゲになるときがあり、
「ああ、今の私はダメなときだ、はなれよう。」
と、自分に余裕がなくなってきていると感じます。

またうつ状態になるって、有りうるのかな~、と、
調べもせず何となく不安に思っています。



このブログでは、
私自身のことを主に記録したいと思います。

子育ては親育て。
親育てどころか、もう一度、自分を最初から振り返ってみようと思わせてくれました。

息子が育てやすい子だったら、きっと今はなかった。指示、命令に従わせること、親の価値観を刷り込むことを、疑問を持たずにしていたかもしれない。
試行錯誤しながら、私とは違う個人である息子を育てることを通して、自分が育ってきた過程に思いを馳せることができた。
息子に、感謝しています。


もう一度、自分が納得して、自分の人生を歩めるように、このブログの場を借りて、私のことを考えてみたいと思います。
この結果が、必ず、子育てに役立つことと信じて、前向きな取り組みです。

こんな人もいるんだなーと、お読みいただければ幸いです。
よろしくお願いいたします。